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zoom RSS 見た!漱石山房記念館

<<   作成日時 : 2017/10/05 18:25   >>

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◆漱石が49歳で亡くなる大正5(1916)年まで、作家に専念する10年間を暮した旧牛込区早稲田南町7番地に、9月24日「新宿区立漱石山房記念館」がオープンしました。さっそく訪ねてみました。アクセスは自動車でした。

◆明治通り−新目白通り−外苑東通りを走り「牛込健康センター」の信号を右折、一方通行を進行。いかにも都心の住宅地らしい狭巾な路地を進むと、右手に出来たての記念館が現れました。ガラス張りのスクエアでウッディな瀟洒な建物は300坪ほどの漱石公園にあります。

◆フロアは地下1階、地上2階。吹き抜けもあって見どころ満載のつくりです。漱石の軌跡が丸ごとわかりそうです。1階の導入展示はパネルとスクリーンを駆使して基本情報を伝えてくれます。

◆続く、山房の書斎再現展示はかなりリアルです(ここからは有料)。10畳のスペースには付箋のある書籍がぎっしり積まれ、文机には万年筆、オリジナルの原稿用紙がおかれ文豪がいまにも出てきそう。絨毯が敷かれ、火鉢やガスストーブ、使い込んだヤカンが並びます。漱石の蔵書は洋書1,650点、和漢書1,200点だったとのこと。「移竹楽清陰」(竹を移植して清らかな陰を楽しむ)の自書が掲げられて、和洋漢に通じていた様に触れられます。実際の山房は60坪の和洋折衷の平屋でした。バッテンで作られた白い柵のある回廊式ベランダも再現され明治、大正のモダンな雰囲気を醸し出します。但し、この住居は生涯借家で洋行帰りの町医師の住居兼診察所だったとのこと。没後、家族が買い取った物件は昭和20年5月25日の早稲田空襲で焼失してしまい、跡形もなくなってしまいました。学芸員さんは、写真や証言から部屋の広さや佇まいを調べ上げ実形を決めていった、と解説していました。

◆2階です。白い展示通路をとおって大きなギャラリーへ。ずっと見ていても飽きることがありません。「吾輩ハ猫デアル」11稿の草稿と上篇、中篇、下篇の初版本からはじまり、「坊ちゃん」冒頭の草稿、18作品の初版本が時を超えて目の当たりにできます。大阪朝日新聞の「文鳥」、朝日新聞の「夢十夜」の紙面はすっかり黄ばんでいて、活字も小さくレイアウトも窮屈です。漱石の交友範囲の広さを知ることのできる数々の書簡と写真パネルは見やすくて、「チーム漱石」を彷彿します。鈴木三重吉らに出した猫の死亡通知も展示されています。

◆ここで最も目を引いたのは、部屋着としていた長襦袢。衣桁掛けに広げられた襦袢は鮮やかな南蛮文様の袷仕立ての品。前身頃には墨や赤インクが飛んでいます。身丈は目視で3尺5寸(130p)くらいでしょう。身長が159pだった漱石にはちょうどよい寸法だったはずです。お洒落だった漱石が、自ら選んだ反物から誂えさせたに違いありません。そういえば、書斎での写真は和装ばかり。出入りの呉服屋はいったいどこの老舗だったのか知りたくなります。ちなみに、明治41年11月10日に泥棒に入られ大小合計10本の帯を盗まれた記録が残っています。

◆記念館はカフェが併設され寛げそうですし、オリジナルグッズ販売もあります。所々に猫の絵が置かれ、楽しませてくれます。公園の道草庵では関連資料が見られ、石塔の「猫塚」があります。しかし「吾輩は猫である」の塚ではなく、漱石没後に遺族が飼っていたペットの供養のために建てたもので、昭和28年の漱石の命日に復元されたものです。

◆かけ足で展示を見たので地階は割愛しました。漱石の偉業と魅力を知るほどに、興味が沸いてきます。地下鉄は「早稲田」、「牛込柳町」が最寄りです。次回の訪館も待ち遠しい限りです。

http://soseki-museum.jp/
 新宿区立漱石山房記念館







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