5月9日は高島平の日!

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高島秋帆(1798年9月24日〜1866年2月28日)
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高島秋帆が陣頭指揮を執ったとされる場所に大正11年から昭和40年初めまであった弁天塚(板橋区立郷土資料館蔵)

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弁天塚があった場所(ガード下あたり)と周辺のようす

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徳丸ヶ原公園に移転された紀功碑と徳丸ヶ原の解説板

*5月9日は「高島平の日」です。なぜか。天保12(1841)年5月9日、徳川幕府の命により幕府直轄地であった徳丸ヶ原で大々的な西洋式砲術の調練が行われました。日本が欧米列強から開国を迫られる情勢下、幕府は和式の海防政策から転換が急務だったのです。

*令和3(2021)年は町名「高島平」誕生から52周年です。奇しくも、秋帆の調練から丸180年たつ5月9日午前10時、大正時代に置かれた紀功碑の跡地、都営三田線新高島平駅近くの「現場」に立つと、いつもと変わらない光景が目に入ります。高架鉄路と定刻通りに走る車両、高島通りを西に東に走破する乗用車、トラック、横断歩道を渡る電動自転車。14階建ての高層団地が現場を見下ろし、かつての熱気は消え日常音が渦巻くいつもの風景が広がっていました。秋帆の残影はどこにも見られません。コロナ禍に翻弄されるなか、初夏のような太陽がふりそそぎ、皐月の風が吹く「高島平の日」は始まっていました。

*180年前の出来事とは…。幕命のもと砲術調練を実施したのが、長崎の砲術家・高島秋帆(しゅうはん)です。100名を超える銃隊、砲隊らが集結し西洋式大砲4挺、小銃50挺を携え新しい兵術を披露したのです。若き勝海舟の姿もあったといいます。徳丸ヶ原での西洋式砲術調練は臨検の老中、若年寄らを圧倒、幕府に大きな影響を与え国際基準の外交・海防戦略に着手するきっかけをもたらします。それは、嘉永7(1854)年「日米和親条約」締結による鎖国体制の終焉につながり、日本は幕末から明治へと激動の時代に向かうことに。陣頭指揮を執った秋帆は、開国への緒を就ける功績を遺した重要人物だったのです。

写真1 高島四郎大夫砲術稽古業見聞之図(板橋区立郷土資料館蔵).jpg
高島四郎大夫砲術稽古業見聞之図(板橋区立郷土資料館蔵)

*高島秋帆一行は徳丸ヶ原と近隣村落に4日間滞在して、周辺村落は挙げて調練の後方支援を行いました。以後、秋帆が当地に足を踏み入れた記録は残っていません。荒川沿いの原野は、その後払い下げられ、水田地帯として機能します。天保12年の記憶は、農地の真ん中にぽつんと立つ紀功碑と陣所となった下赤塚村松月院に建立された顕彰碑に留まる程度でした。

*昭和39(1964)年、東京オリンピックが晴れやかに開かれ世界の表舞台に躍り出た日本が工業立国として経済成長のアクセルをさらに踏み込み始めるころ、日本住宅公団は大都市圏の住宅供給を加速させ関東、中京、関西圏などに勤労者の住宅不足緩和のため住宅建設を急ぎました。千葉県松戸市の常盤平団地はじめ次々と住宅団地を核とするニュータウン(NT)の開発、造成が展開され首都圏の多摩NT、関西圏の千里NT誕生はその象徴となります。

*国の命を受け、突貫工事で住宅団地を急造する公団の白羽の矢が、都心から10数キロの徳丸ヶ原を捉えない訳がありません。東京23区北部の300ha以上に及ぶ広大な農作地はこの上ない開発候補地として浮上。都営地下鉄6号線を山手線巣鴨間に開通させ、東西に走る都道447号を整備するなど白紙から街の図面はダイナミックかつ精緻に引かれました。

*槌音の響くなか、高台に居住する地権者らの6町名が行政上振られていた通称徳丸ヶ原に昭和44(1969)年3月1日、統一された町名が冠されます。従来の呼称とは無縁の手垢のついていない歴史由来の「高島平」の誕生です。西洋砲術調練の主導者高島秋帆が長い眠りから覚めて、現代の新開地に舞い降りてきたのです。起工から5年余、昭和47(1972)年の竣工を果たした高島平団地。低層棟、高層棟合わせ63棟、10,170戸のマンモス団地を中心とする新しい街は、秋帆が見守るなか熱気を帯びデビューしました。

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「高島平」は誰の発案だったのでしょうか。公式な記録は残っていません

*志村西台、徳丸、四葉、下赤塚、上赤塚、三園。旧6町名いずれも想起できない異次元のネーミングは快挙です。では、いったい誰が秋帆をクローズアップしたのでしょうか?

*「高島平」は昭和43(1968)年11月の板橋区議会第5回定例会第7議案73号「町区域の新設について」において採択されています。 区議会の議事録では高島平を含めて複数地区の新町名が提示され、どれも何の異論もなく賛成されています。それぞれ、いくつもの候補から選んだ記録はありません。旧地権者にとって愛着ある地名は、片鱗だけでも後世に引き継ぎたいもの。国立市は国分寺と立川、大田区は大森と蒲田、板橋区の小茂根に至っては小山、茂呂、根ノ上の合体というようにです。しかし、徳丸ヶ原の旧6町の一文字合体などは寿限無のようになってしまい収拾がつきません。

*命名の過程は公的に残されていませんでした。時流に埋没せず、土地の持つ重みを継承できる普遍的な町名を発掘した人物とは。日本が経済成長をひた走るさなか、時空を超えた考察力を持ち得たであろう「賢人」であったはずです。「高島平」前夜に詳しい関係者のあいだでは、歴史に精通する板橋区職員が紀功碑を参考に発案したと伝えられています。賢人の有無を言わせぬ才気と洞察力によって、高島秋帆は徳丸ヶ原に新時代到来の号砲を放ったのです。やがて日本は冠たる経済大国に上り詰めて行きます。5月9日は「高島平の日」です。



もっとわかる!聴いて見よう 大東大ラジオ「町名誕生50周年 高島平と高島秋帆」


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